うえなら(うー의 나라)

2023年4月入学。社会人大学院生です^^

雨森芳洲庵

恐らく、私は、今日という日をとてもとても楽しみにしていたんだと思います。

昨日、昼寝をしていたせいもあるけれど、深夜12時を回っても、全く眠れませんでした。無理やり何とか寝たものの、午前3時過ぎには目覚め、そこからずっとまた、調べ物をしてました。

結局そのまま寝ずに、6時半に起き、7時半出発。

ということで、2年間、「京都から電車で2時間遠すぎる」「駅からの交通手段が徒歩40分」と行く気にならなかった「雨森芳洲庵」(滋賀県長浜市高月町雨森)にやっと行ってきました。

 

結果的に駅からは、行きはタクシー、帰りは徒歩20分かけて、次の目的地、国宝の観音様へ(タクシー呼んだら1時間以上かかる、と言われた笑)。

そして観音様から駅まで10分強。徒歩40分はあながち嘘ではありませんでした。

 

でも、歩いたおかげで、この素敵な虹が見れました。

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晴れてるのに雨が降っていて、이거 바로 소나기(これぞまさに通り雨)て感じで、韓国ドラマだとこの展開、主人公の2人が初めてキスする時、または別れる時に降る(降らせる)雨やーん!とか思いながら、私はひたすら、田んぼ道をひとりでトボトボ歩いておりました笑。

 

話戻って、雨森芳洲庵。

雨森芳洲は、江戸時代の儒者です。

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そしてもう、朝鮮通信使ヲタクには、言葉にできないくらい、すばらしい空間でした(語彙力)

初めて見る芳洲せんせーの直筆にきゃああああとなり。

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芳洲せんせーの直筆本。しかも交隣提醒。

見せていただけたのはコピー。コピーだけでも胸いっぱい。せんせー本当に字がお上手(そんなレベルではない)

 

そして、第9回の製述官•申維翰(シンユハン)が芳洲せんせーに別れのソンムルとして差し上げた頭巾(本物)がヌルッと飾ってあって、もうそれだけで、ギャッ!!!ってなりました。

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(これが頭巾。まんま。撮り方悪くて私が映ってる!笑)

 

ていうか、

⚫️第8回通信使:老中新井白石vs雨森芳洲(ともに木下順庵に学んだ兄弟弟子、最初は仲は悪くなかったものの、立場の違い、価値観の違いで段々すれ違っていく2人)

⚫️第9回通信使:朝鮮側の製述官•申維翰(シンユハン)vs雨森芳洲(時に文化の違いでケンカしたものの、最終的に芳洲は涙を流して別れを惜しみ、申維翰も友情の証に頭巾を渡した)

っていう2つの人間関係が、私的朝鮮通信使のクライマックスなので(それっぽく作ったら、それぞれ絶対萌えられる関係性だと思う。何の話笑)、だから、その友情の証の頭巾(本物)を見れるなんて!!!と鳥肌もんでした。

 

ちなみに、申維翰(シンユハン)に貰った頭巾は鑑定の結果、日本の素材ではなく、朝鮮の素材(ただ、時代は分からないらしい)だそうで。

更には、本には「小さく折りたたんだものが渡された」と書いてあったけど(うろ覚え)、蔵から発見された時、本当に小さく折りたたんであったそうで。

それ聞いて、また、ふあああ!!!!てなりました。

 

その他、朝鮮王朝時代の国書の写しもあり。

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てゆうか!これ!「10年交流途絶えた」とあるから、てっきり再開後初の仁祖の時のものだと思ってたら(それも凄いけど)違う!

李 焞(イ・スン)とある。

これまさに、粛宗じゃーん!うっそーん。セクシー粛宗ー!!!(ユアインの演じた粛宗が、韓国の番組でそう呼ばれていた笑)

とりあえず、チャンオクチョンのセクシー粛宗貼っときます笑。

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そして次。

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こっちも今改めて見てみたら、

李昑とある。イクム、それ即ち英祖じゃないですか!うっそーん!ハルバママー!!!by イサン※할바마마(ハルバママ), 宮廷内で王族が自分の祖父を呼ぶ際の呼び名

とりあえず、イサンのおじいさま貼っ‥(以下略)

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てか、ヘチも出したいけど、最後まで見てないの‥←

それにしても、思わぬビッグネームの登場に、今、思わず変な声出た。興奮再び!!!

 

あと、対馬藩で通訳士達に韓国語を教えるための教本。ハングルとカタカナと漢字が書いてある。今、ハングルを勉強している私たちと同じ。これも興味深かったです。

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そして、さっき私が、朝鮮通信使のクライマックス項目を分けるのに⚫️を使ったのが、芳洲せんせーのパクリだとお分かりでしょうか(知らねーよ笑)

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この⚫️パクりました笑。こういうとこも、親近感持てる笑。

 

とかなんとか言いつつ、スタッフの方にとても良くしていただき、随分長く話してたら、最後、お抹茶まで淹れていただけました^^

 

茶室に通され、座布団を敷いていただいたので座ろうとしたら、「そこ、司馬遼太郎が座った場所やで」と言われて、リアルにギャー!!!となり、急いで座布団を移しました。

おこがましい。私なんかが、司馬遼太郎せんせーの座られた場所に座ってはいけない。おこがましい。

 

ヲタクは推しと同じことをする、同じ場所に座る、ということをしがちですが、崇拝しすぎるとそれすらできない。

ただただその場所を見つめるのみ。

ってことで、司馬遼太郎せんせーの座られた場所の写真を撮っておきました。←

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と思ってたら、撮れてなかった笑。ヲタクの混乱が分かる一枚。

 

そんな感じで、なんかもう、胸いっぱい、あの狭い空間で滞在時間2時間半(うち、館長さん?なのか?あの方は)と話すこと2時間、色々整理できない気持ちを抱えて、タクシーも来ないので、雨の中、ヨロヨロと次の目的地、国宝の観音様のあるお寺へと向かいました。

別の場所で撮った虹。この時雨ちょっとひどかったー。

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そして、途中で妙なバスケのゴール見つけました。

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芳洲せんせー、愛されてるねえ笑。儒者の格好でバスケしてる笑。

でも、つまるところ、スタッフの方が言われた、

 

雨森芳洲先生は、この地域の出身となっているけれど、もしかして、オギャーとここで生まれただけで、育ったのは別の場所かもしれない。それどころか、この地に来たことが無いかもしれない。それでも芳洲先生が、折に触れ、自分は雨森出身だと言われていたから、私たちもこうやって、先生のことを伝えていっているんです」

 

という言葉が全てなのかもしれない。

芳洲先生はとても厳しい面がクローズアップされがちだけど、私は、とても優しい人だなあ、という印象を持っています。

朝鮮の人達と、お互いの違いを認めて分かりあおうとする、そんな人間性だったからこそ、こんな、200年後に記念館作ってもらえて、それどころか、バスケットゴールにまで肖像画書いてもらえて、本当に幸せ者だなあ、とか、そんなことを思ったわけでした。

 

ということで、夢の雨森芳洲庵にやっと行けました。

ほぼ誰も分からないことを、一人興奮して書き倒してみましたが、私はとても楽しかったです。

遠いから、不便だからとあきらめないでよかった笑。行けて、本当に良かったです。


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