うえなら(うー의 나라)

2023年4月入学。社会人大学院生です^^

朝鮮人街道(近江八幡)

 

朝鮮人街道は、近江国に存在した近世の脇街道である彦根道、京道および八幡道の異名である。中山道との比較で下街道・浜街道、あるいは朝鮮人道、唐人街道などともいう。(Wikipediaより)

 

ということで、紅葉にギリギリ間に合った12月初め、全長約41.2キロのうち、近江八幡市内の朝鮮人街道を実際に歩いてみました。

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まず、近江八幡市街地の朝鮮人街道は、このような感じ(観光案内所の方が書いて下さった。)

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そして、基本コースはこんな感じ。(こちらも近江八幡観光ボランティアガイド協会のホームページから、モデルコースいただきました。)

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まずは、朝鮮通信使の休息の場になったという、本願寺八幡別院へ。

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営業開始?してるはずなのに、門が閉まっていたので、とりあえず横から入ってみました。

すると「御用の方は寺務所へ」との張り紙を見て、「そっち系のお寺ね」とひとり笑う私。

そっち系とは。や、私の身体は、京都の観光系寺院にすっかり慣らされてしまいました。営業時間に行けば寺の門は空いてる(入場料取られる)、本堂も開いていてお参りができる(お賽銭入れる)、というのが常識になっていました。

ただ、京都にも稀に、入場料取らない代わりに公開しておらず、「御用の方は寺務所へ」というお寺もあります。京都では稀なこのタイプのお寺が、全国的には割と普通、という事実を忘れてました。すっかり京都に染まってしまったぜ。と笑。

「御用の方は寺務所へ」ということは、寺務所に声をかければ、御朱印はもらえるのかもしれません。

ただ今回、私の「御用」は、御朱印ではなく、朝鮮通信使の書き残した「扁額」(寺社仏閣にある看板みたいなの)が見たい。

でも、いきなり言っても戸惑われるだろうし、そもそも、非公開かもしれない。

ということで、本当に見る気なら、きちんと手順を踏まなければ、と思い、諦めました。

でも、お寺の様子を外からだけでも見れて良かったです。

 

そして、お待ちかねの、朝鮮人街道(京街道)。

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どーん!と撮っても、まあ基本は、ただの道笑。

でも、この道を、朝鮮通信使行列が通っていたのか‥と思うと、非常に感慨深い。胸熱ロード。

ちなみに、元々この道は、家康が関ケ原の戦いの戦いの凱旋に通った道出そうなので(むしろ、そっちのが有名かと)、家康クラスタにも胸熱ロードだと思います。

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京街道朝鮮人街道)から見えた本願寺八幡別院。なるほど、ここを右折して休憩所であるお寺に向かったのね、と。位置関係と距離感が分かってよかった。(ていうか、逆光!)

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そしてそのまま、京街道朝鮮人街道)を進みます。遂に本物見れた!石碑に大喜び笑。

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そして石碑のすぐそばにある旧伴家住宅には、江戸時代の豪商の住居兼蚊帳工場。江戸時代には珍しいという三階建の建物、圧巻でした。二階建のフリして、こっそり三階建にした、という説明、金持ちだからできる技よね‥とか思いました笑。

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朝鮮通信使に関していえば、この辺りでの通信使の行程は、大津で食事、守山で宿泊、翌日は、八幡で食事、彦根で宿泊という行程だったそうなので(『近江八幡観光物産協会』ホームページより)、ここ近江八幡での饗応料理の再現がしてありました。

そして何より!とても可愛い朝鮮通信使人形の行列風景の展示がありました!

饗応料理の展示は知ってましたが、人形達がいるとは全く知らず、SNS等でも見たことなかったので、テンション上がって大変でした笑

(基本写真は撮れるけど、外観以外、SNS等へのアップNGみたい、残念)

 

そしてその後も、周辺の資料館等見たあと、そのままひたすら道を歩きます。

京都風に言えば(言うな笑)、京街道仲居町通りから見た、京街道朝鮮人街道)。(しかし今や、この方法で、道を言うのが一番わかりやすい笑)

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そういえば、京街道沿いの古民具屋さんに、小さな土人形が並べてありました。

最近の私は、京都でも、この手のお店を見つけると、入って朝鮮通信使の人形を探してみています。でも、まあ、無い笑。

なので、お店の方が声をかけて下さったので、勇気を出して「朝鮮通信使の人形はありますか?」と聞いてみたら、やっぱりありませんでした。

でも、無かった事実より、「(店内を探した後)たまに入ってくることあるんだけどねえ。今は無いねえ」というお店の方の回答の方が衝撃的でした。すごい!時々入ってくるんかい!さすが朝鮮人街道沿い!とか心の中でツッコんでました笑。

 

 

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そして、仲居町通りを南に下がります。仲居町(すわいまち)と読むそうです。

 

仲居町通りを東に曲がり、そしてまた、新たに朝鮮人街道の石碑を見つけて、上がるテンション笑

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朝鮮人街道はこっちの縦の道
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そして、更に南に曲がり、住宅地の中を歩いて、2号線に到達しました。

2号線に出て、車がビュンビュン走ってるのを見たところで、脳内も江戸時代から現実に戻り、この日の行程終了。

 

全部でどれくらい歩いたんだろう。感覚的に、2〜3キロかな。道幅、距離感、目に見える山々、少しだけでも歩けてよかった。やっぱり、その場で無いと分からない感覚があるな、、と思いました。

本で読んでいたことが目の前に広がるこの感じ、バーチャルがリアルになったわ‥とか思いながら歩くと、また別の感慨。

 

【今回の旅の気付き】

観光協会は使うべし

朝鮮通信使関連の寺社仏閣限定で御朱印を集めるのはアリかもしれない。

•歩いた距離を測れるものが欲しい(万歩計?)