雨森芳洲庵
恐らく、私は、今日という日をとてもとても楽しみにしていたんだと思います。
昨日、昼寝をしていたせいもあるけれど、深夜12時を回っても、全く眠れませんでした。無理やり何とか寝たものの、午前3時過ぎには目覚め、そこからずっとまた、調べ物をしてました。
結局そのまま寝ずに、6時半に起き、7時半出発。
ということで、2年間、「京都から電車で2時間遠すぎる」「駅からの交通手段が徒歩40分」と行く気にならなかった「雨森芳洲庵」(滋賀県長浜市高月町雨森)にやっと行ってきました。
結果的に駅からは、行きはタクシー、帰りは徒歩20分かけて、次の目的地、国宝の観音様へ(タクシー呼んだら1時間以上かかる、と言われた笑)。
そして観音様から駅まで10分強。徒歩40分はあながち嘘ではありませんでした。
でも、歩いたおかげで、この素敵な虹が見れました。
晴れてるのに雨が降っていて、이거 바로 소나기(これぞまさに通り雨)て感じで、韓国ドラマだとこの展開、主人公の2人が初めてキスする時、または別れる時に降る(降らせる)雨やーん!とか思いながら、私はひたすら、田んぼ道をひとりでトボトボ歩いておりました笑。
話戻って、雨森芳洲庵。
そしてもう、朝鮮通信使ヲタクには、言葉にできないくらい、すばらしい空間でした(語彙力)
初めて見る芳洲せんせーの直筆にきゃああああとなり。
芳洲せんせーの直筆本。しかも交隣提醒。
見せていただけたのはコピー。コピーだけでも胸いっぱい。せんせー本当に字がお上手(そんなレベルではない)
そして、第9回の製述官•申維翰(シンユハン)が芳洲せんせーに別れのソンムルとして差し上げた頭巾(本物)がヌルッと飾ってあって、もうそれだけで、ギャッ!!!ってなりました。
(これが頭巾。まんま。撮り方悪くて私が映ってる!笑)
ていうか、
⚫️第8回通信使:老中新井白石vs雨森芳洲(ともに木下順庵に学んだ兄弟弟子、最初は仲は悪くなかったものの、立場の違い、価値観の違いで段々すれ違っていく2人)
⚫️第9回通信使:朝鮮側の製述官•申維翰(シンユハン)vs雨森芳洲(時に文化の違いでケンカしたものの、最終的に芳洲は涙を流して別れを惜しみ、申維翰も友情の証に頭巾を渡した)
っていう2つの人間関係が、私的朝鮮通信使のクライマックスなので(それっぽく作ったら、それぞれ絶対萌えられる関係性だと思う。何の話笑)、だから、その友情の証の頭巾(本物)を見れるなんて!!!と鳥肌もんでした。
ちなみに、申維翰(シンユハン)に貰った頭巾は鑑定の結果、日本の素材ではなく、朝鮮の素材(ただ、時代は分からないらしい)だそうで。
更には、本には「小さく折りたたんだものが渡された」と書いてあったけど(うろ覚え)、蔵から発見された時、本当に小さく折りたたんであったそうで。
それ聞いて、また、ふあああ!!!!てなりました。
その他、朝鮮王朝時代の国書の写しもあり。
てゆうか!これ!「10年交流途絶えた」とあるから、てっきり再開後初の仁祖の時のものだと思ってたら(それも凄いけど)違う!
李 焞(イ・スン)とある。
これまさに、粛宗じゃーん!うっそーん。セクシー粛宗ー!!!(ユアインの演じた粛宗が、韓国の番組でそう呼ばれていた笑)
とりあえず、チャンオクチョンのセクシー粛宗貼っときます笑。
そして次。
こっちも今改めて見てみたら、
李昑とある。イクム、それ即ち英祖じゃないですか!うっそーん!ハルバママー!!!by イサン※할바마마(ハルバママ), 宮廷内で王族が自分の祖父を呼ぶ際の呼び名
とりあえず、イサンのおじいさま貼っ‥(以下略)
てか、ヘチも出したいけど、最後まで見てないの‥←
それにしても、思わぬビッグネームの登場に、今、思わず変な声出た。興奮再び!!!
あと、対馬藩で通訳士達に韓国語を教えるための教本。ハングルとカタカナと漢字が書いてある。今、ハングルを勉強している私たちと同じ。これも興味深かったです。
そして、さっき私が、朝鮮通信使のクライマックス項目を分けるのに⚫️を使ったのが、芳洲せんせーのパクリだとお分かりでしょうか(知らねーよ笑)
この⚫️パクりました笑。こういうとこも、親近感持てる笑。
とかなんとか言いつつ、スタッフの方にとても良くしていただき、随分長く話してたら、最後、お抹茶まで淹れていただけました^^
茶室に通され、座布団を敷いていただいたので座ろうとしたら、「そこ、司馬遼太郎が座った場所やで」と言われて、リアルにギャー!!!となり、急いで座布団を移しました。
おこがましい。私なんかが、司馬遼太郎せんせーの座られた場所に座ってはいけない。おこがましい。
ヲタクは推しと同じことをする、同じ場所に座る、ということをしがちですが、崇拝しすぎるとそれすらできない。
ただただその場所を見つめるのみ。
ってことで、司馬遼太郎せんせーの座られた場所の写真を撮っておきました。←
と思ってたら、撮れてなかった笑。ヲタクの混乱が分かる一枚。
そんな感じで、なんかもう、胸いっぱい、あの狭い空間で滞在時間2時間半(うち、館長さん?なのか?あの方は)と話すこと2時間、色々整理できない気持ちを抱えて、タクシーも来ないので、雨の中、ヨロヨロと次の目的地、国宝の観音様のあるお寺へと向かいました。
別の場所で撮った虹。この時雨ちょっとひどかったー。
そして、途中で妙なバスケのゴール見つけました。
芳洲せんせー、愛されてるねえ笑。儒者の格好でバスケしてる笑。
でも、つまるところ、スタッフの方が言われた、
「雨森芳洲先生は、この地域の出身となっているけれど、もしかして、オギャーとここで生まれただけで、育ったのは別の場所かもしれない。それどころか、この地に来たことが無いかもしれない。それでも芳洲先生が、折に触れ、自分は雨森出身だと言われていたから、私たちもこうやって、先生のことを伝えていっているんです」
という言葉が全てなのかもしれない。
芳洲先生はとても厳しい面がクローズアップされがちだけど、私は、とても優しい人だなあ、という印象を持っています。
朝鮮の人達と、お互いの違いを認めて分かりあおうとする、そんな人間性だったからこそ、こんな、200年後に記念館作ってもらえて、それどころか、バスケットゴールにまで肖像画書いてもらえて、本当に幸せ者だなあ、とか、そんなことを思ったわけでした。
ということで、夢の雨森芳洲庵にやっと行けました。
ほぼ誰も分からないことを、一人興奮して書き倒してみましたが、私はとても楽しかったです。
遠いから、不便だからとあきらめないでよかった笑。行けて、本当に良かったです。
チャンスの神様には前髪しかない。
最近の私は、仕事がとてもとても忙しいです。
まあ、本来の私はこんな感じでした。
本当に忙しくて、仕事しかしてませんでした。
ヲタクとの両立すら難しいこともあり、コンサート参戦日程も、一緒に行く友達に私のシフトを渡し、友達がそのシフトを見て、チケット交換してくれる、とかいう、そんな状態でした。(何の話笑)
人手不足のサービス業のシフト制勤務。リアルに朝から深夜まで働く。
コロナ前は、これが完全通常運転でした。
今もそんな状況です。
なので、そんな時に思う気持ちで、一気に、私が「仕事を辞めて大学院生になる」と決断したきっかけを書いておこうと思います。
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「いつか勉強するために、もう一度学生になって、思いっきり勉強したい」
そんな気持ちは、ずっと持っていました。
でも、まさか、この働き盛りの40代で、そんな決断をするなんて思ってもいませんでした。
定年まで働いて、老後に大学院か、留学したいな。そんな夢物語を、ぼんやり頭に描いていました。
それが、一気に現実味を帯びたきっかけは、完全に「仕事を辞めたい」でした。笑。
詳細は割愛しますが、人間関係で、まあまあハードな出来事がありました。もしかして、私、訴えられる?そんくらいのハードさ。(後に、私の濡れ衣は晴らされ、私の名誉も自ら勝ち取りましたが。‥。)
でも、その時の、会社の対応に不信感しかありませんでした。
何度も言う、この職業は天職と思い働いていたので、働ける限りはずっとこの仕事をするだろう、と思ってたし、特に今の会社は福利厚生もしっかりしているので笑(これ大切!)、仕事を辞めようと思ったことは、一度もなかった。最後(定年)まで働こう、と思ってました。
でも、その不信感をきっかけに、定年まであと20年近く、この会社で働き続ける自信は無くなりました。
同業の別の会社に転職、も2ミリくらい考えたけれど、きっとまた、やりがいはありながらも、忙しい日々は続く。
それよりも、仕事を辞めて次のことをしたい、と思いました。
今、自分がやりたいことは「勉強」でした。
「学生になって勉強する」という夢を、すぐすぐ実現させる気はなかったけれど、そこが決まっていたから、新しいことをやろうと思った時に、次の道は比較的早く決まったようにも思います。
チャンスの神様には前髪しかない。
っていうのは、きっとそういうことなんだと思います。
ピンチになった時、何かを始めたいと思った時、ある程度の自分の道、やりたいことを思い描いておけば、道を転換しようとするとき、すぐに対応できます。
なので、「自分がやりたいこと」を、いつもぼんやりでも考えていれば、チャンスの神様がやって来たとき、ガバッと前髪掴めると思います。
私もこれからも、やりたいことを思い描き続けて、チャンスの神様が前から走ってきたら、ガバっと前髪掴みます。
一緒にガバッと掴みましょう笑。
願書提出までの道のり
願書提出までの公式スケジュールはこんな感じでした。
・6/22 願書募集要項申請開始
・7/1〜7/13 願書受付期間
私のスケジュールはこんな感じでした。
・5/17 教授にお話を聞きにいく
・5/27 証明写真撮影/出身大学の卒業証明書取寄
・6/初旬 研究計画書作成開始
・6/24 入学願書取寄
・7/7 入学願書送付
ツイッターのつぶやき記録で、振り返ってみようと思います。
【5/27】
卒業証明書と成績証明書をもらうべく、出身大学に申込書を郵送した。 書く前に写真撮っとけばよかった笑。一通200円*2=400円。あと、今日は証明写真も撮った。
【5/28】
入学志願書書いてみた。 大体できた気がする(マジか笑)
【6/6】
卒業証明書と成績証明書到着。 私が身分証明証入れ忘れたせいで、だいぶ時間かかった笑。
【6/7】
来月TOPIKなのに、休みの日は研究計画書についてずっと考えてて、韓国語の勉強が全然出来ない。 わたしの韓国語の実力、ここでストップしそう笑
【6/17】
出願用の研究計画書出来た! と言いたいところだが、文字数足りない。 あと120字程度。 これ以上修飾ばかりして、文字数増やして良いものなのか。 内容がイマイチ薄いのよねー(自覚アリ)てか、気付けばこんな時間。 5時間熱中してた。 マジか笑。
【6/18】
研究計画書〜。 大体出来たけど、内容の薄さに我ながらくらくらする笑。 本当にこれで受かるのか?! 今の状態で、先生に送ってみるべきか!?
【6/19】
去年の状況を見ると、願書配布は6月半ばから、申請は7/1〜7/13(当日消印有効←懐)。 しかし今年はまだ、願書の配布すらない! この日程を見ても、本当に、きちんと準備してた人が行くとこなんだな、大学院って(今更
まあ、私もそこまで準備万端! てわけではないけど… (この期に及んで、先生に「参考文献教えてほしい」とかメールでお願いしてる時点で、全く準備万端とは言えない‥笑)
【6/23】
遂に! 願書配布が始まった! 急いで申し込まなきゃ! と早速申請書を書いたら、まさかチョコチップアイスのアーモンドをこぼして書き直し笑
【6/24】
郵便小為替! 初めて見た! てことで、願書申請書を送りました。 ドキドキ〜。
【6/30】
願書到着。 本当は数日前に届いてたけど、連勤で忙しいし、緊張するし、でしばらく放置してた。 ←
【7/1】
絶賛諸々、文章考え中です! (説明雑)
【7/2】
二つのことが同時に出来ないので、今は韓国語の勉強より、研究計画書。 ここ数日、朝4時起床で書いてる。
言いつつ大学院入試準備は、手続き自体は、そんなに大変じゃない。 元々文章を書くのは苦手じゃないし、何より社会経験。 仕事と考えたら、この志願書はこんくらい書いとけばいいだろうっていう塩梅がわかる。 教授とのメールのやり取りにしてもそう。 仕事をイメージすれば自ずと距離感掴める(むしろ仕事のメールより全然ラク)
(※研究計画書は、その限りでは無い。そこは話が違う。なかなか大変。)
(誤解を恐れず言うと)大学院入試準備ってすごく大変! という記事が多くて、こんなに余裕ぶっこいてていいのか? と思っていたけど、よく考えたら、記事書いていらっしゃるのは、大体大学生か、社会人経験が浅い方たちとお見受けした。もちろん当然。需要が一番あるのは、その世代だから。
でも、私のように、社会人20年近くやってれば、こんな煩雑な手続きや、気をつかうやりとりは、仕事でよくある。 だからあんまり大変じゃないんだ、と今更納得。
大学からそのまま上に上がる受験生の方たちは、そりゃ「教授へのメールの書き方」から調べるはずだわ、と思った。 「失礼のないように」というアドバイスがあるはずだわ、とも。 言いつつ、 私も一応調べたけど、結局好きなように書いた笑。
社会経験積んでからの大学院進学は、決断が大変だけど、そこさえクリアすればそんなに大変じゃない! と、声を大にして言いたい。
と、まだ合格もしてない(なんなら、願書完成させてもない)オンナが、偉そうに言う笑
【7/3】
絶賛、大学院出願期間中です。研究計画書、 やっぱり段々追い詰められてます笑。考えすぎて、頭痛くなってきた笑。
てか、ここにきてまだ、研究計画書を書くために、参考文献を読んでいます。図書館にも行きました。 (言いつつ、半分は趣味の本笑)。 あともう少し。 頑張りましょう、わたし!
【7/5】
妹から「大学教授はだいぶ変」て聞いてたのに、私が師事する先生はとても丁寧な方で、こちらの意図を素早く汲み取ってくださる。 忙しくていらっしゃるだろうに、メールの返事も早く、アドバイスも的確。 親切丁寧。女性だから? 韓国人の方だから? とにかく「もう使わないから」と参考文献まで送ってくださった。 嬉しい。 御礼贈ろう。京都ぽいもの?何がいい? (もはやお中元笑
【7/6】
てことで、ついに始まっちゃいましたー! 受験料払ってくるさ!てか、振込用紙の志望先書き間違えたんだけど、自分用でよかった。 このくらいの間違いならなんとかなる。これが現役なら、書き間違えたら大パニック、だったと思うけど、このあたりの塩梅が分かるようになったのが、社会人の強みだと思う(違)
【7/7】
志望理由書、研究計画書ともに、読んで読んで推敲して推敲しすぎて「もう見たくもない」な気持ちになってるから、そろそろ、提出しようと思う。。。
願書提出した!!! 何この爽快感!!!
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てことで、2ヶ月かけて準備した願書(研究計画書)を提出した。最初の一歩、だけど、大きな一歩。
しかしこの後わたしは、大学院試験なんてどこ吹く風、7月末まで、1か月に渡って行われた3年ぶりの祇園祭(家の近所でやってる)にダダハマっていくのであった‥笑。
大学院入学費用(随時更新)
大学院進学にあたり、かかったお金も随時更新していこうと思います。
■入学準備(2022.9)
計146,135円
•入学金 135,000円
•振込手数料 880円
•証明写真 9,000円
•書類実家往復 680円
•入学手続き送付(書留)575円
■大学院入試(2022.9)
•交通費 32,000円
•ホテル代 7,000円
■願書(2022.7)
計36,495円
•卒業証明書発行 500円
•証明写真 1,000円
•願書申請(定額小為替)1,000円
•申請書送付 280円
•受験料 32,000円
•振込手数料 880円
•願書送付 835円
■先生に会いに行った(2022.5)
計 34,000円
交通費 34,000円
■書籍購入代
計21,340円
•李朝の通信使 671円
•朝鮮通信使の研究 9,920円
•朝鮮通信使がみた日本 4,299円
•朝鮮通信使をよみなおす 1,300円
•交隣提醒 3,520円
•絵本朝鮮通信使 1,630円
教授へのコンタクトメール
教授へのコンタクトメールは、2022年4月頃に送りました。
まずは、(というか、今考えて最初にして最大の難関笑)、教授へのコンタクトメール。
知らない人(!)にメールを送るので、とてもとても緊張しました。
ネットにはコツやなんや色々書いてありましたが、結局は、人様のテンプレートに頼りました。笑。
とはいえ、私のような社会に出て年月の経つ受験生用のテンプレートは少なく、例があっても人文学系のものは無く(主に医療系が多い印象)、さらには、コロナ禍でのアポイントをどのように書けば良いか、という例もなく、、、
最終的には、(自己紹介)(メールを出した理由)(研究したいこと)(何故その分野を学びたいか)を中心に、仕事モード(!)で書いたので、これが正解かは分かりませんスミマセン。
メールの書き方、内容とポイント
参考にさせていただいたサイトやブログでは、主に「簡潔に」「わかりやすく」「失礼のないように」等書いてありました。
確かにそれらを参考にさせてもらいましたが、社会人をある程度の年数やっている人なら、普通に仕事モードでメールを書けば良いのでは、と思いました。
内容に関しては、いきなりメールを送ってきた人に対する、最低限の判断基準を記載しておこうと思いました。
【私の思う、最低限の基準】
-年齢、出身大学
-(私の場合社会人だったので)社会人としての経歴
-現在の住まい
-研究したいこと
-研究したいこと、その他関連に対する経歴
コロナ禍でのアポイントの取り方
コロナ禍だったので、いきなり研究室訪問を切り出して良いか、悩みました。
これは人によって本当に考え方も対応も違うので。
そのため、まずいきなり訪問を切り出さず、伺って良いかの許可を取ることにしました。
訪問OKの場合、日程調整というメールで、一度メールのやり取りが増えてしまい、お忙しい教授にその対応をしていただくのは本当に申し訳ないと思いましたが、そこは、「この時代だから仕方ない」と諦めました。
テンプレート
私もテンプレートに助けられたので、自分の送ったメール、具体的ワードを外したものを、貼っておこうと思います。
また、私の志望大学は、その学校出身者以外は、事前に研究科長に連絡を取ることが必要でした。
なので、【研究科長宛】と【担当教授宛】のメールを作りました。
どなたかの一助になりますように(๑・̑◡・̑๑)
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【研究科長宛】
タイトル 大学院進学のご相談につきまして
○○大学
○○研究科長
○○ ○○(フルネーム)教授
はじめまして。私、(自分の名前)と申します。
突然のご連絡を失礼いたします。
2023年4月から、○○大学○○研究科の修士課程進学についてのご相談をさせていただきたく、ご連絡いたしました。
私は現在、社会人として働いていますが、○○に興味を持ち、貴大学○○研究科に入学したいと考えています。
特に、○○に興味があり、○○先生のもとで、研究したいと思っています。
貴大学○○研究科を受験を希望する場合、○○学部の卒業生以外は、一度ご連絡の必要がある旨拝見しましたので、連絡をさせていただいた次第です。
そして本来なら、お伺いして○○先生とお話をさせていただきたいとお願いするところかと思いますが、このような時代でございますため、直接お伺いする事は可能なのか、叶わない場合はどのようにすれば良いか、併せてご教示いただければと思います。
お忙しいところ突然メールを差し上げ、大変申し訳ございません。
どうぞよろしくお願いいたします。
(自分の名前)
(自分のメールアドレス)
(自分の電話番号)
--------
このメールを送ったところ、研究科長より、担当教授と直接交渉してください、的なメールをいただいたので、以下のように担当教授にメールを送りました。
---------
【担当教授宛】
タイトル 大学院進学のご相談につきまして
○○ ○○(フルネーム)先生
はじめまして。突然のメールを失礼いたします。私は、(自分の名前)と申します。
(研究科長の名前)先生を通してお願いさせていただきましたが、このたびは、メール送付を許可していただき、大変ありがとうございます。
早速ではございますが、2023年4月から、○○大学大学院○○研究科の修士課程進学についてのご相談をさせていただきたく、ご連絡いたしました。
私は、○○年3月に○○大学○○学部を卒業後、○○業界で働いてきました。今は(都市名)で働いています。
2015年頃から○○に興味を持ちはじめ、独学ながら勉強したり、本を読んだりして知識を深めて参りました。
なかでも、○○に興味を持ち、「○○」に大変魅力を感じています。
そのため、ご縁があれば、(担当教授)先生のもとで、○○についての研究をしたいと思っています。
とは言え、これまで専門的に○○を学んだこともない私が、果たして先生のもとで研究をさせていただけるのか、自分自身でも疑問に思うところはあります。
○○について、本格的に勉強したいと考えておりますので、必要であれば、大学3年次からの編入等も視野に入れていますが、まずはどのような可能性があるのかを知りたいと思い、ご連絡を差し上げた次第です。
そして本来なら、お話をお伺いさせていただきたく、アポイントを取って訪問のお願いをするところかと思いますが、このような時代でございますため、直接お伺いしてお話をさせていただくことは可能なのか、叶わない場合は何か手立てがあるのか、併せてご教示いただければと思います。
お忙しいところ突然メールを差し上げ、大変申し訳ございません。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
(自分の名前)
(自分のメールアドレス)
(自分の電話番号)
--------
このメールを送ったら、担当教授から返事をいただき、そして無事、先生にお会いすることができました。
(メールを送ったのは、ちょうど、桜の満開の頃でした。)
そして先生に会いに行く。
わたしにとって、一番身近な「院生」は妹だ。
もう20年近く前になるが、彼女は、農学部の大学院を卒業している。
「院試を受けようと思っている」と言ったら、「『院試』なんて、懐かしいワードだねえ」と笑いながら、
「とりあえず、教授に会いに行ってみれば?時代が変わってなければ、大学院のスタートって、そこからだと思う」
という言葉に、教授に会うことを決めた。
大学院の今年の募集要項を見ると、
「当大学卒業生以外は、事前に研究科長にコンタクトを取ることが必要」
とあり、緊張で吐きそうになりながら、研究科長の教授にメールを送った。
そしたら、すぐに研究科長の教授から返事が来た。返信に2、3日はかかると思っていたら、30分くらいで返事が来た。驚いた。
そして無事、直接私が師事したい先生にコンタクトする許可をいただいた。
ちなみに、研究科長に直接、師事したい先生のメールアドレスを聞く勇気のない私は、その後、大学院の事務室に電話して、師事したい先生と繋いでもらうよう手はずをつけた後、教授にお礼のメールを送ったのであった。。。
(あとで知りましたが、普通はまず、学生課にメールを送るそうです。それを知らなかったから、いきなり研究科長にメール送ってしまいましたよ‥笑)
それにしても、ここが一番緊張した。
最近、数年で一番なくらい緊張した。
「なんかこの、教授陣へのファーストコンタクトが、今回の大学院入試の一番のハイライトな気がする…」
と思ったけれど、それはあながち間違いではない気がする笑。
現段階、ここが一番緊張して、以降院試も含めて全く緊張しなかった(むしろ院試は、とても楽しかった)ので、このコンタクトメールが、現時点での一番のクライマックス笑。
先生に会いに行く
そして、待ちに待った、先生からの返信があったのは、4月初め。
私が、先生の研究しているテーマに興味を持っていることを「嬉しい」と言っていただき、トントン拍子で会っていただけることになった。
4月はお忙しいとのこと、5月に入って会いに行った。
そしたらもう、本当に本当に、色々素敵すぎた(語彙力)。
先生からはとても貴重なお話をたくさん聞かせていただき、そして、これからの人生が開けた時間でもあった。
在学中や卒業後の色んな可能性を示していただいた。
それ以外にも、韓国歴史ヲタクとして、先生のお話は、永遠に聞いてたいくらい面白かった。
来年4月から、こんなお話をたくさん聞けるなんてもう、うっとり以外の何者でもない!と、今思い出しても、興奮冷めやらず笑。
それにしても、本当に良い印象だった。
(先生だけど)とても仲良くなれそうな気がした。
「一緒に学会にも行きましょう」「今度は食事にでも行きましょう」そんな嬉しい言葉もかけてくださった。
「毎年、ゴールデンウィークに韓国で学会があるんですよ。ゴールデンウィークに韓国に行くなんて、地獄でしかないんですが、学会にも一緒に行きましょう」
そう言っていただき、
「ゴールデンウィークに韓国で学会」
のパワーワードに一気にテンションが上がった笑。
社会人入試と社会人院生活について
院試試験についても色々教えていただいた。
とりあえず、今のスタンス(韓国語の勉強メイン、たまに韓国史)で勉強し続けて大丈夫のようだ。
読解問題
実は先生に会う前に、過去問閲覧をしたけれど、過去3年は該当なかったんだろう、韓国語の読解はなかった。
英語を見たら、なんとなく解けるレベル、これ辞書持ち込みなら完全解けるでしょレベルで、韓国語もこのくらいならいいなーって思ってたら、TOPIK4級程度の読解問題とのこと。
良かった、それならなんとかなりそう。
後で聞いたら、これまで大学院を韓国語で受験した人は、先生がこの大学に来て(7年くらい)で初とのこと。
思わぬプレッシャーも待っていた笑。
専門分野
そして心配していた専門分野も、今の韓国史ヲタク度合ぐらいで、なんとかスタートラインには立てそうだ。「大学3年次への編入は必要ない」と言われた。よかった。
社会人の大学院生活
入学後のことも教えていただいた。
私立の大学院は(少なくともこの大学は)、社会人に対しては、そこまで課題も厳しく無く、かつ、授業時間も、最大限学生に合わせてくださるらしい。
「国立の大学は、その後研究者としての道を進む学生が多いので、自ずから色々タイトですが、うちはそんなことないです。」
とのことだった。
(ちなみに、国立理系の大学院に行っていた(何なら研究室に住んでた笑)うちの妹は、「そうか!私立の文系はそんな感じなのか!」と、この話に鬼反応していた笑。)
ということで、先生にお会いしたことで、完全に来年4月からの道は決まった。
その後は、たまに先生と研究内容についてのメールを交わしながら、韓国語やそのほかの勉強をしていた。
研究報告書の作成や、専門分野の勉強に、割と途方に暮れながらも、早く次のステップに進みたいなあ‥!と、ひたすらワクワクしていた。